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自由への終焉。。。

 その人がその命の終わりを迎えるという瞬間は、想像できない。

想像出来ないというか、本人しか納得や理解は出来ないだろう。

 
 祖母は高齢の老衰で、まるで電池が切れるように、

ゆっくりと息を引き取りました。。。

終わる終わると思っていたことが、ついに終わったという感覚。

長い人生を走り切ったという終わり方でした。

 間髪入れず、今度は父が末期ガンと申告されたが、

さすがにそれはどうにも心構えが出来なかった。

いきなりの命のカウントダウンは、余りにも残酷。

そしてなにより


「死んでいく人のように見えなかったからだ・・・。」

入院してからは吐血したりとか、目に見える衰弱があまりなく、

寝たきりだが、会話も出来るし、食事もとり、新聞も読む。

 なのに、

「もう時間がないのだ」

「見た目元気で時間が無い」という言葉を、どう受け止めれば

いいのか心の整理がつきませんでした。

 正直僕には何がどうなって、何がダメになってるのか

全く見た目ではわからなかった・・・。

 そんな日々でも、予断を許さない日々の24時間体制の付き添い。

「今笑ってても、1時間後には意識不明になるかもしれない」

そんな事がいつ起こっても不思議ではないという・・・。

 実感は無かったが、実際最初のそれは入院して20日ほどに来た。

叔父から連絡があり、今すぐ迎えに行くから、すぐに病院へ!と・・。

突然の半危篤状態。。

なにがどうなったのか、今でも思い出せないが、

後々なんとか峠は越え、回復をした。

肺炎を起こしそうになったらしい。

 肺炎はそれだけでも危険なのに、肺がんの人がなったら、

それこそただでは済まない。。

 毎日がこういう日々なので、ベッドのそばにいても、

自宅にいても、常に精神的に緊張感が解ける事は無く、

僕自身の緊張発作の症状も常にピークで悶え苦しんだ。

 そしてまたその10日後くらいにまた容体が悪くなった。

今度こそ危ないとの事でしたが、それでも父は回復した。。。

 しかし回復したといっても、10が3になり、やっと7まで戻り、

それが今度は7から2に下がるようなもので、全体的には

徐々に、いや、数日間で確実に衰弱していった。。。

なので入院当初の体調までには戻る事は出来なかった。。。。

でもちょうどその頃、一時帰宅の話が出ていました。

なんか色々病院の仕組みはややこしく、

この状態でずっとここにいるわけにはいかないようで、

自宅療養か転院などをしないといけないらしい。

 いずれにせよ、

父が家に一時でも帰って来れる事は僕は相当嬉しかった。

 70年ほど住んだ家を、ある日突然離れ、

もう二度と帰る事は無いというのはあまりに残酷すぎる。。。

「色々整理したい物。片づけたい物。見たい物。」

もっと言えば、

「自分の「家」と話すことが沢山あっただろう」

だからこそ父も一時帰宅に向けて、その日をとても楽しみにしてた。

 兄が父に元気を与えれることと言えば孫の声や手紙とかで、

 僕が父に元気を与えれる事と言えば畑仕事の話。

ほんとはさ、

僕も兄も、もっと将来の話とか夢を語ったりもあったんだろうが、

もう現実的に先が無い父に対してはその話が出来なかった・・・。

「今日。こんなことがあったよ。」

そんなたわいもない会話、

今まで通りの会話が精一杯の親子間の繋がりだった。

 せめてもの一時帰宅。

 しかし、

 それが叶う事は無かった。

6月17日、夕方。

「これ見て!今年はいいタマネギが出来たよ!」

「今から帰ってまた収穫作業してくるよ。兄ちゃんいるから、

だからもしなんかあったらまたすぐ来るよ」

 そういった僕に、モルヒネで意識朦朧といてる父は

「一生懸命作ったんだから、収穫だけはちゃんとやらんとな」

「うん・・今からやってくるよ」

「・・・ああ」

そううなずいたのが、

僕と父との最後の会話でした。

 家に帰った僕は、真っ暗の中、懐中電灯を身につけて

畑に行きました。

そんな暗い時間に畑に行くことは無いのですが、

そうでもしないと精神が持たなかった。

しばらく途方に暮れて何も手につかない状態でしたが、

「そう言えば親父は唐辛子を作って配るのが好きだったな」

と思い、

唐辛子の整地・整理を黙々と始めました。。。。

夜の9時半ごろでしょうか。。。

誰もいない畑で声がして後ろを振りかえりました。。。

僕の名前を呼ぶわけでもなく、何か伝えるわけでもなく、

何て言われたかもわからない。。。

ただ、、

何かに後ろから耳元に「ボソッ」と何かを言われた。

・・・嫌な予感が一瞬で全身を覆った。

「・・・・親父・・・・???」

という答え以外は頭に浮かびませんでした。。

 胸騒ぎというレベルではなく、すぐに家に戻った。

すでに病院での付き添いや極度の緊張状態で、極度の情緒不安定。

当然落ち着かせるために酒も入ってる。

飲酒運転は重罪だ。

わかってる。

でももう、車を走らせていた。

行くしかなかった。

何かしら目がギラついて、異常な焦りだった。

アドレナリンと緊張はピークだった。

自分が車を運転してお見舞いに行けなかった僕だったのに、

気づけば取り付かれたように病院に車を走らせていた。。

(親父が呼んでいるのか・・・?)

思い過ごしであって欲しかったが、やはり僕は呼ばれたのだろう。

 無事病院の駐車場に車を止めると、

義姉から連絡がちょうど入った。

「お父さんが、あぶない。迎えでもタクシーでもいいから来れない?」

と。

「・・・・もう、着いてるよ。呼んだから・・親父が・・僕を・・」

 病室に入ると父は昏睡状態だった。

張りつめていたものが一気に爆発した。。

親父の手を握り、泣き崩れてしまった。

「呼ぶなよ親父・・・。親父が・・・呼ぶから・・・」

「もういいから・・・もういいから・・・」

「あの家は俺が守る!だから安心してくれ。」

「こんな俺だけど、ちゃんと意志は俺が継ぐから・・・」

 正直、何を言ったか、そして良い言葉を投げかけてやれたのか

自信もなく、ただただ思いつく言葉を並べるしか出来なかった。。。

無我夢中だった。。。泣けて泣けて泣けて・・・・。

僕と兄で父の手を一緒に握りしめたのは最初で最後だった。

 そこから4時間後、

放心状態でずっと計器類を見続けていて異変に気づく。

「あれ・・ちょっと!数値が!数値が!!!」

心拍数・血圧・・・あらゆる数値が一気に下がり始めた。。。

急いで主治医を呼んで応対してもらっていたが、

僕は口には出さなかったが、

もう逝く時間だとわかった。
 

 これがドラマなら、父の手を握り、叫び、もうひと踏ん張りしてと

願うのかもしれない。

 でも僕は、そういう気持ちにはなれず。

「もう・・・時間がきたんだ」と

「苦しみから解放される時間が・・・」

と。

そんな思いで3歩さがった場所で見届けていました。

親族が「そばへ」と少し促しましたが、

僕はそっと首を振りました・・。

 
 祖母が息を引き取る瞬間を直視してしまった僕は、

病状的にかなりのショックを受けてしまったのを父は知って

いました。

 なので、たぶん父は自分が死ぬところを間近で見せたく

はなかっただろうと思ったりもしたし、

なによりもうもうお別れはしっかりした。

駆けつけた時、とてつもなく泣いたので、

その時はもう冷静に現状を受け入れました。。

「お疲れ様・・・そして今までご苦労様と・・・」

 こうして父は逝きました・・・。

深夜2時9分。

 早かった。。

とても早かった・・・。

入院してたった40日で逝ってしまった。。。

同時に自分の中の何かが逝ってしまった喪失感も計り知れない。

病院・病室内で起きた事がまだよくわからなかったが、

遺体が自宅に搬送されるときの外の空を見て、

色んな思いが込みあがった。

 入院中、どこかで何かしら父と写真でもと思っていたけど、

さすがに結局1枚も撮る事が出来なかった。

やっと撮ったのが自宅搬送された後の病院の夜空。

この空は忘れまいと。

 こんな静かな星空の下でさえ、もう父は見る事は無い。。

画像

でも、

この空が家につながり、畑につながり、

父の歩いてきたすべての場所につながってる。

「やっと自由になれたんだよ・・。苦しかったなぁ」

「でも、もうちょっと生きたかったわ・・・」

そう

空から父に言われてるような気がしました。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (5件)

  • なんと言えばいいのか~~~
    言葉が見つかりません~
    がんばって!なんて~
    こんなに頑張ってる人に言えない~
    でも気持玉にはこれしかない……

    お父様はこばじろうさんが一番気がかりだったのでしょうね~
    そしてきっと感謝しておられたのでしょうね~
    こばじろうさん~ありがとう~
    一日一日の命の重み~
    そして生きる事への励み~戦い~
    私も亡き父母への想いを、その歩みを
    子へ孫へと伝えたいという覚悟を
    一層強く心に刻み込むことが出来ました
    親と子~家族~生と死~
    ひとりひとりの人生~
    千人いれば千通りの人生~
    ひとつとして同じ人生はありません
    人間としての永遠のテーマ~
    人が生きるという事~
    ~こばじろうさんには
    こばじろうさんの人生
    こばじろうさんらしく生きて下さい!
    人間として最も大切なことを
    たくさん教わりました~~
    有り難うございます~
    くれぐれも
    お身体を心を労ってくださいね
    お祈り申し上げます

  • このたびは……。

    この記事を書くことも相当な覚悟があってのことと思います。
    全ての記事読ませて頂き参考にしたりしていましたが、こばじろうさんのように壮絶な体験では無いのでなんと言っていいやらうまく言葉に表せませんが
    私も軽度のパニック障害で嫁が鬱病にかかってます。
    お互い苦しみ悩みながら苦しくも生活しています。
    こばじろうさんから沢山私は勇気を頂いています。本当に感謝してます。
    これからもこばじろうさんの記事up待ってます。
    くれぐれも無理はせずお身体に気をつけて下さいね。

  • 今日はじめて読ませていただきました。開墾の苦労や、看病の苦労、お疲れ様でした。

  • 開墾で検索し辿り着きました。
    最後が2015年の記事だったとは。
    しっかり読ませて頂きました。
    ありがとうございました。

  • こばじろうさん はじめまして
    自分と重なることが多く、その時の事を思い出しながら読ませて頂きました。ありがとうございました。

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