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パニック発作物語第18話「重度のパニック障害」

 今更ながら、この病気に関する記事を書くのはとても怖い。

理解されにくい病気ですし、時には誤解や偏見から、

心無い目で見られ、さらに自分がつらい状況に陥る事もある。。。

それでもこうやって記事にするのは、何故だろうと

日々自問自答する。

 人はわからない・理解出来ないものには恐怖し、そして嫌悪する。

幽霊が見える人の感覚がわからないように、

お酒の飲めない人が酔っぱらう感覚がわからないように、

 
 それはやっぱり当人でしかわからない。

当人しかわからない事をどうやって他人に伝え、

じゃあ伝えたからと言ってどうなるものかと言えば、

実際はさほど前に進むほどのことでもない。

 それがわかっていながら、こうやって記事を書く自分は

それでもこんな理解不能な病気が実際に起こりうるという事を

少しでも多くの人にわかってもらいたいという、

精一杯の願いでもありSOSなのかもしれません。

 読んで楽しい記事ではないですが、

もしも自分がある日突然この病気になった時、

もしも身近な大切な人がこの病気になった時、

少しでも当事者の気持ちをわかってあげれる手助けになればと

思って書いています。

 さて、

では今回の本題。

 パニック障害とは、不安が不安を呼ぶ。

ほんの些細な不安が頭をよぎった瞬間、それは本当の不安になり、

さらに恐怖になり、実際に身体的・肉体的に症状が現れる。

 この病気が重症化・慢性化すれば、きっとこうなると

思っていたことがついに僕にも訪れました。。

 軽度の患者でもそうですが、まずそういった不安やストレスになる

ような場所や状況は避けるのが基本。

その程度でいるうちに、治療に専念して克服するのがベストですが、

これが悪化・重症化するとどうなるか・・・?

 今回のお話は、この病気のまだ軽度で苦しんでる人にとっては

怖い話になるかもしれないので、不安になりそうな人は

読まない事をおススメします・・・。

 
 あっという間に重症化した自分には、いったい何が起きたのかと

いう思いがありますので、上手く説明出来ませんかもしれませんが、

がんばってお話したいと思います。

 
 目に見えて苦しくなってきたと感じたのは、

「発作が起きる状況がどんどん広くなっていったという事」

上手く言えませんが、

今まで大丈夫だった場所や状況が、次々とダメになっていきました。

 具体的に言えば、7km先の病院にも自力で行けなくなり、

5km先のホームセンターに自力で行けなくなり、

3km先のスーパーに自力で行けなくなり、、、、。。

こうやってどんどん簡単な外出すら出来なくなりました。

 そのお店や・施設自体も苦手>恐怖を覚えるようになり、

平行して、自宅からの目的地までの距離も意識してしまうように。

 目的地である「場所」「そこでの所要時間」自体にも恐怖を覚え、

そこまでの「移動距離」に対しても恐怖を覚えるようになりました。

日常生活・生活圏において、

「包囲」
 

が始まりました。

 どんどん、行ける場所、行ける距離が縮小していく怖さは

言葉に出来ません。

あらゆる場所に外出が出来なくなっていく事は、

生活において死活問題です・・・。

 こうして、病院・スーパーなどは父の運転無しでは行く事が

出来なくなり、たとえそこまで連れてってもらっても、

病院での待合やスーパーでの買い物中など、一度発作が出た場所

では、必ずフラッシュバックが起こり脳が反応→発作開始、で、

意識が飛びそうになるような状態になります。

実際死にはしませんが、死にそうなくらいの苦痛は襲ってくるので

自分に大丈夫と言い聞かせてもどうにかなるものではありません。

 短い距離でもなかなか自分で運転して向かう事が出来ず、

徐々にその包囲が狭まっていく怖さ。。。

それでも何とか負けまいと誤魔化し誤魔化しで頑張っていましたが、

やはりというか、、ついに訪れた最悪の事態。。。

「自宅で何事も無くじっとしてても発作が出るように;;。」

 何故こうなったのか、、、わからない気持ちの反面、

何となく予測してた部分もあります。

 先に述べましたように、パニック障害は不安が不安を呼ぶ。

雪だるま式。と言いますか、、、

例えば自分に「防御力」というものがあったとして、

それがどんどん減っていくんですよ。。

 皮膚が徐々に薄くなっていくように、、、

免疫力が徐々に無くなっていくように、

以前は耐えれた痛みやダメージが、どんどん耐えれなく

なっていく感じ。

え?こんなことくらいで?と、

ほんの些細な事すらも、無意識に反応し苦痛になっていく。

以前は大したこと無い状況や不安が、次第に耐えれなくなるというか、

自分の意志とは関係なしに過剰に敏感になっていきました。

 それは、普通の人が考える心配事とか不安とか、

そんな次元を通り越すほど未知の世界にまで行きました。

「なぜこんな程度の事で体が極度の緊張状態になるのか?」

「究極」という言葉がありますが、まさにそこまで行ってしまう。。。

あまりにもむき出しの神経。あまりにも過剰に敏感な感覚。

 パニック障害の人は「時間」「状況」などの拘束がとても耐えれない。

一時間ほどの会議や会合などの拘束が無理になり、

病院での20~30分の待合が無理になり、

次第に耐えれる時間が短くなっていく。。

 渋滞・何かに並ぶ、はもちろん、

信じられないかもしれませんが、それが究極になると、

「信号待ち」

「レジに並ぶ」

「銀行・役所での窓口で手続き等をする」

こんなことですら、まるで今から崖からダイブするかのような

いつ終わるかわからない拷問を受けるような

それくらいの極限の緊張感に襲われます。。。。

 手足は震え、心臓の鼓動が頭にまで聞こえ、脂汗が吹き出し、

視界の物は見えてるのに焦点が合わず、足は地に付いてない

感覚。

そのピークに、今の僕はほんの数秒で到達する。

 そしてそれを他人に悟られないよう、その場で倒れてしまわぬよう

必死で理性を保ち堪えるので、

もうそこに居る感覚すら飛びそうになる。

 こういった恐怖と苦悩が、以前は特定の場所や特定の状況下で

起きていたので、そこを避ければなんとかやっていけましたが、

これがたかが赤信号の一つや、ましてやただ単に家で

普通に過ごしているだけで突然襲ってくるのですから、

もう、どういう状況を避けて生活すればいいのかわかりません。。

家でじっとしているだけで襲ってくるようになったのですから

起きている間はずっと生きてる心地がしません・・・。

 車で言ったら、今までは発作=エンジンが一気にかかるような

感じでしたが、こうなると、朝起きた時点ですでにエンジンが

かかったアイドリング状態。

朝、目覚めた時点で弱い発作状態がすでに始まります。

 なので、朝起きるとまず、今日の自分はどうだ・・・?と、

自分の身体や状態を真っ先に自問自答してチェックします。

頭痛は?吐き気は?めまいは?などなど。。。

 朝起きた時点で、

「…今日は多分ダメだ・・・」

とわかってしまう日も多いです。

あとはその日、夜まで寝るまでの一日の間、

元々の最悪から、そのさらに上の爆発的な最悪な発作が

いつくるのか怯えるだけ。

大事な用事が出来たらどうしよう・・・。

急な来客があったらどうしよう・・・。

こうしてビクビクしながら一日が終わります。

 もはや生きてる心地は皆無です。。。

 こうなるともう、自分ではコントロールできないほど

あらゆる些細なストレスや不安・心配事に

尋常じゃないくらい過敏な体質になりました。

気持ちの問題や、考えすぎとか精神的に強い弱いではなく、

強制的に脳や身体が反応してしまうので、自分ではどうしようもない。

「むき出しの薄いガラスの神経」そんな感じ。
 

ある日、ニュースで震災の映像を見ていた時でした。

突然、脂汗が出始め、強烈なめまいに襲われ、

それ以上映像を見れないほど、訳のわからない恐怖が襲いました。

「あれ・・・?俺どうしちゃったんだろう・・・?」って。。

自分でも理解できない恐怖感が突如襲ってきました。

 結論から言えば、

 パニック障害は

「死を意識し、覚悟してしまうほどの感覚が襲う病気」

出来るだけ「死」を連想・想像しないようにしないといけない。

軽度の時は

「この病気で死ぬんじゃないか?」

と思う人がほとんどですが

これが僕みたいに重症化するとパニック障害関係なく

人の「死」に関する内容はすべて脳が勝手に呑み込んでしまう。

 上手く表現出来ませんが、

例えばもしも僕が車で交通事故を経験した事故のトラウマで、

その後車に乗れなかったり、その道を通るのが怖いというのは

何となくわかります。

 それが僕の場合、車のCMを見るだけで、エンジン音を聞くだけで、

あげくにはその辺の「道路」を見るだけで精神的に耐えられない。

そこまで過剰に脳が反応してしまうようになってる状態。

異常なほど、脳がこじつけてしまうのです。

 すでに限界を超えてるのに、

「これ以上神経が過敏になったらどうなるんだ??」

「何を見ても、何を聞いても無意識に恐怖が襲うようになったら

さすがにもう精神が崩壊してしまうのではないだろうか?」

この恐怖と四六時中、毎日毎日闘う日々ははすごく怖い。

 そんな中、

祖母の死を見届けるという、

「死」というものを意識するには、これ以上ない出来事が起こりました。

 介護からはじまり、一人の人間が半年という月日を経て、

少しづつ衰弱していき、

そして自分の目の前で息をひきとるという、

こんな病気を抱えてる自分には、正直絶対に向き合ったり、

直面してはいけないこと。

 どんな病気でも、いや病気でなくても、ささいな日常でも

その人にとって「絶対」に直面させたり、見せたりしたら、

その人の人生や生き方・精神すら変えてしまうほどの

二度と取り返しのつかない物事ってあると思います。

 でも、だからと言って一緒に住んでた祖母の介護を避けて

その死を見守らないわけにはいかなかった;;。

家族なんだから・・・。

 祖母の死を見届けることで、それがその後、

「相当な痛みが自分に取り返しのつかないくらい返ってくる事」は

自分なりにかなり覚悟してました。

 健康な人だって、家族の死は耐え難いものなのに、

そういった悲しみやショックを

「通常の人よりも何倍もの大きさで

脳が勝手に受け止めてしまう体質になっていた自分には、

想像をはるかに超えた苦しみが襲ってきました。

 悲しみだけでも耐えれないのに、余計なこの精神疾患のせいで

身体自体が自分の意思とは無関係に

恐ろしいくらい言うことを聞かなくなった。

 「寝れない・食べれない・やる気が起きない」

そんなレベルは祖母が亡くなる前にとっくに超えてる。

それをさらに超えると、もう自分の体になにが起きてるのか

わからない。

もう、必死で理性を取り繕って、葬儀や親戚たち相手に

演技をしてでも立ち振る舞うことしか考えてなかった。

肩の力を抜いたら、あっという間に「鬱」に突入して

精神崩壊して廃人になることが何より怖く、

それと必死で闘った。

「悲しみの苦痛と、病気の苦痛」との両立。

悲しみは別に普通なんだろうけど、悲しみに身を寄せると、

理性が崩壊して歯止めが効かないだろうという怖さもあった。

誰にも悟られず、迷惑をかけず、葬儀やその後の日々を

誤魔化しながら過ごすのは、もうギリギリの精神状態でした。

なので、

祖母が亡くなってから数日間の記憶は今でもほとんどない。

しっかりと祖母を送り出し、親戚相手にもちゃんと対応して

やることはしっかり最後までやらなきゃと、

無意識レベルで何かと対応してたんでしょうか。。

 
 こうして、満身創痍で、ほとんど記憶がないものの、

何とか祖母の死を見送り、出来るだけがんばって

早く新しく始まる不安だらけの父と僕との二人暮らしに気持ちを

切り替えないといけない訳ですが、

人の死をまともに見届けてしまったダメージは想像以上に大きく

また、今後の父との2人暮らしの不安も

それはそれで病気が育ってしまうエネルギーになるわけで、

さらに持病に追い打ちをかけるわけです。

 はっきり言えば、冗談なしに


「死ぬなよ・死ぬなよ」と自分に言い聞かせる毎日です。

大げさでもなんでもなく、この病気は精神的に追い詰める。

そして大半が鬱を発症し、そうなると

家族や医者・周りのサポートがあっても、なかなか元には戻れない。

 よく鬱病を批判する人がいます。

甘えとか、自業自得だとか、、いろいろ。。

鬱病を理解してほしいとは僕は思いません。

なった本人しか、その異常な感覚と苦痛は理解出来ないのですから。

なので、そんな人には僕はこう例えを出して説明します。

「アルコールを過剰に摂取したり、覚せい剤などの薬物を

打たれたりして自分の行動や感情をコントロールできますか?」と。

重度の精神疾患とは、つまりそれに近い状況なわけで、

本人の意識や理性やものの考え方は、

自身の脳で正常な判断が出来なくなるのです。

 それを、アスペ・メンヘラ・コミュ障と平気で相手をののしる今の

社会は、自分の事を抜きにしてもとても切なく悲しい。

まあ、この話題は議論を呼ぶのでまた別の機会にまとめます。
 

 
 そんな訳で、ただでさえパニック障害が悪化の一途をたどってた

僕は、祖母の死の衝撃と、その死を見届けてしまった事により、

パニック障害の患者としては、

完全になるべくして重度の患者となってしまいました。

 怖いのはそこから合併症の確率の高い「鬱」

そうなったら、もう僕は人間として再起不能になる。

再起不能は死を意味する。

有名人でも著名人でも、どんだけ富と名声や

サポートがある人でも、鬱で死を迎えた人は、ニュースでも

皆も知ってのとおり。

 それだけ鬱に飲まれる怖さは僕もわかってる。

頼むから、壊れるな壊れるな壊れるな壊れるな壊れるな・・・

苦しみから逃げるな。自殺を選ぶな・・・

耐えろ・・・耐えろ・・・耐えろ・・・。

毎日それを願う日々。

それが祖母を亡くしたあとの、今年の春の僕の状態でした。

 すでにこの先生きていく事に戦意喪失してた自分ですが、

そんな自分に対して運命とはさらに残酷なもので、

その後に起こる出来事は、自分の中でついに受け入れる事が

出来ないほどの事で、

自分という一人の人間・人生が終わる事を覚悟する事になります。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • こばじろうさん~
    計り知れないご苦悩を背負っておられるのですね~~一気に読ませて頂きました
    人は自分が経験、体験した事しか本当のところは解らないものですね
    解った判ったと言う人に限って~
    表面だけしか見ていない~
    他人の悩みがそう簡単に解る訳がない~
    ましてや~心の奥深いところの悩みなど
    そう簡単に相槌を打って欲しくない~
    ~私にも人には到底解り得ない悩みがあります
    人に言ったところでどうなる訳でもありません~かえって変な目で見られたり~傷つくのは自分です~
    でも~人間ですもの解って欲しいと思うところもあります~言いたい時もあります~
    こうしてブログで~自分を曝け出せる~
    こういう場を持てている事は
    こばじろうさん~
    救いではないかと思います~
    誰にも言えない~素直に表現する場も持たない表現の仕方も判らないで~苦しんでいる人も居るでしょう~
    何であれ~今の現実の自分を受け入れ
    上には上が居る~下には下が居る~
    自分が一番不幸ではない~
    もっともっと不幸な人~大変な人も居るという事を思えば~
    出来ない事にばかり目を向けないで
    今自分に与えられた出来る事に感謝し
    出来ない事は次に出来る様に目標にする
    神様は、こばじろうさんは乗り越えられる人だと信じ
    ~そして~同じ様な苦しみを抱えている人を救って欲しいとの思いなのではないかと私には思われます~
    それがたとえどんな形であれ~
    自分を曝け出している
    今のこばじろうさんの姿は~
    きっと、いくばくかの人の心に通じてる筈です
    きっと救われてる人も居る筈です~
    頑張って下さいね!
    必死に頑張ってる今のこばじろうさんそのままでいいと私は思います
    負けないで下さいね!!!
    心からエールをおくります~
    祈ってます~~~

  • こばじろうさん、その苦しみを味わった者にしか理解出来ない辛さなので、慰めの言葉は言えません。
    私の父親も戦地や事故等で、パニック症候群にかかっておりました。
    でも、当時はそんな病名も無く、医者や周りからは精神異常者扱いにしかされませんでした。
    晩年に、これなんだと気付きましたが。
    ただただ、父親の枕元で愚痴と苦しさを聞いてあげるしか能の無い私でした。
    今になって、毎日毎日何十年と聞いてあげられた事が、私にできた親孝行だったのだと気付きました。

    その父の心を癒してくれたのが、家庭菜園でした。
    自然は、あなたを毎日待っていてくれています。あなたを必要として、でもあなたを黙って支えてくれています。
    そして、あなたの心をゆったりと受け止めてくれています。

    どうか、ご自愛ください。

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