人にはそれぞれあまり思いだしたくない過去や出来事があります。
その相手は友人だったり、恋人だったり、そして家族だったりと。。
病気になってからの僕にもそれがあり、今でも思い出すだけで
家族に対して自分が嫌になるような出来事・・・。
それは後にも先にも一度だけ起きた事件。。。
地元に帰って、今まで通院していた病院からも離れた事を
きっかけに、一応地元で新しい病院を探し1年ほど通ったのですが、
また一からあれこれつらい過去の話から話したり、症状も可もなく
不可もなくの日々。それ自体がとても憂鬱で、なんの改善の実感も
なかったので、1年ほどで通院を止めてしまっていました。
しかしその後、車の運転や、PCなどの画面の光など、じわじわと新しい
苦痛や症状が増えていった事をきっかけに、
「これはやっぱり通院再開せんといかんかなあ。。。」と
思っていた実家暮らし3年目の2月のある日。
未だに何がきっかけでそうなったか。。記憶がさだかではないの
ですが、思いだせる限りでは特にその日に何かがあったと
いう訳では無かったと思います。
夕食時にビールを飲み、ベッドに入ったものの寝付けず、
残っていた安定剤やらを飲んでまた横になりました。。
飲酒と薬の摂取はもちろんいい事では無いです。。
ここから先はすでに記憶が曖昧で、何カ月も経ってから思い出した
部分も含めてお話します。
睡眠薬まで飲んで横になったにも関わらず、寝付けなかった僕は、
いつの間にか自分の部屋の中で座っていた。
横に転がっているのは、さらなるビールの空き缶と安定剤。。
何がどう薬が作用してしまったのか不明ですが、
薬を服用したにも関わらず黙々と飲酒をしていました。。
今思えばもうこの時点でアルコールと薬の作用で、もう精神も頭も
錯乱してたんだなと思います・・・。
行動の記憶は定かでは無いのですが、その時が
「味わった事のない強烈な孤独感だったのは覚えています」
この3年間、
知人も作らずの孤独生活。実家にも色々と問題やストレスを抱えてる。
のちにお医者さん曰く、
寂しさなどの感情を押し殺していた「心」がパンクしてしまったのでは。
だと言う。。
フラフラと僕はそこから父の部屋に向かったらしい。
深夜11時くらいだったとの事。
普段、僕の病気の事や将来の事、そしてこの実家の現状、
それらにあまり関心や行動を起こさない父に、その想いや疑問を
黙々と語り始めた。。
僕の身体の話題すら無関心な父。そしてたとえ自分の病気の話を
抜きにしたって、祖母の世話、食事の支度等、実質ここ(実家)から
出ていくことが実質不可能な状態の僕。
僕が病気で実家に居る事によって、家事や食事に不自由が無く、
いっそ気楽に思ってるんじゃないかという妙な逆上的な苛立ち。。。
「僕の病気の何を理解している?」
「僕のこの先、この実家の先を真面目に考えているのか?」
「じゃあ僕が今ここを出て行ったら?婆ちゃんが死んだら?」
「このゴミ屋敷をどうしていくんだ・・・」
それらの大事な事が自分の中で積もり積もっていたにも関わらず
それを親子として普段会話にも何も出てこない事に
自分の中の溜りかねた何かが限界を超えてしまったようです。。
その時は自分が一方的に語っただけで、父は酔っ払いの息子として
「わかったわかった、今日はもう寝なさい」
と、30分ほどであしらったかと思います。。
それが逆に自分にさらなる悪いスイッチを入れてしまいました。
相手にされなかった酔っ払いが興奮するようなもんでしょうか。
昔から絡み酒などあまりした事なかったんですが、
いかんせん薬がもうおかしい方向に入ってしまっている。
気付けば、父の次には眠っていた祖母の前で語り始めていた。。。
この先のこの家の事を心配して黙々と語っていたらしいですが、
正直記憶もなく、祖母も深夜にわけがわからないのでダンマリだった。
しかし、
父には早く寝ろとあしらわれ、祖母には迷惑顔されてしまい、
「自分がこんなに真剣に考え、悩んでいるのに・・・」
という、長い不安な年月の積み重ねを、思いつめて話したにも関わらず
いとも簡単に受け流された事で、自分の中の何かが完全に崩壊した。
「家族にも相手にされない・・・。」
強烈な孤独感と絶望感と行き場のない憤りだけだった。。。
(もういい、こんな家も自分も、もうどうでもいい・・・)
無造作に摂取したさらなるアルコールは過剰な興奮へと誘導し、
それと真逆の鎮静効果の薬も無意識に服用してしまっている。
興奮作用とと鎮静作用との同時摂取。
「アクセルとブレーキを同時にめいっぱい踏み込んだ状態」
大量の鎮静剤がアルコールによって無茶苦茶な作用を起こした。
僕がどのような病気でどのような症状で、どんな薬を飲んでいるのか
さえ、全く興味も理解も無い父には
「強烈な酔っぱらった息子」としてしか認識出来ない。
酔っ払いをなだめる。ただそれだけ。。
それが余計に虚しかった気がする。
その後の事は記憶が未だに半分以上戻らない。。。
わかっている事は、
祖母と話した後、父の2階へと向かうすぐ下の階段のドアの
ガラスを足で蹴ってブチ割った事。
次の日自分の足が血だらけだった事。
異常行動なのか、自傷行動だったのか。。。。。
たぶん・・・その両方だったのかもしれない。
騒ぎを起こして自分が傷付けば、きっと誰かが自分と向き合ってくれる。
そんな思いだったのだろうか。。
それとも自分が嫌になって自分を傷付けたのだろうか。。
ガラスが割れた音で駆けつけた父と、どういうやり取りをしたのか
ほとんど記憶に無い。。
でもほんのわずかだけ覚えてる。。
真剣に話しても相手にしないクセに、家のガラスが割れることには
すぐに駆けつけて来る事に、僕の感情は悪い方へピークになった。
「いい加減にしなさい!」と怒鳴り掴みかかってくる父に、
「だったら殴れよ!!殴って怒れよ!ガラスが割れて頭に来てんだろ?
会社勤めも出来ない、社会人として未だロクな状態でもない俺に
ガッカリしてんだろ!?」
「それとも何か?もう諦めて関心もないんか?関わりたくもないんか!?」
もう、生まれてから父に対してこれ以上無いくらい泣き叫んだ。。
でもそう言い放った自分に、父は殴らなかった。。
それどころかまるでキチガイの人間を見るかのように動揺するだけ。
半ば哀れんだ目で他人行儀な冷めた目で見ていた。。
その目が僕にはとても寂しく、気付けばもう言葉を発する事が出来ない
くらいに泣き崩れていた。。
結局は自分の事を見てるようで見てないんだなと・・・・。
本気で向き合ってくれない・考えてくれないという強烈な虚しさ。
そう思うと、泣きながら自然と口に出た一言。
「だったら今すぐ俺を殺してくれ、もう楽にしてくれ・・・」
と。。。。
それを発したのを最後に記憶が飛んで意識が飛んだ。
目覚めたのは翌日の午後3時過ぎ。。
強烈なめまいと頭痛・吐き気が起きた早々襲ってきた。
足を切っていたのでベッドは血まみれだった。
何が起きたのか、起きた瞬間は全く記憶になかった。
しばらくして、ふらふらと部屋を出ていくと、
飛び込んできたのは割れたガラス。
そこでやっと昨夜の記憶の一遍がよみがえり、それは次第に膨らんだ。
精神薬とアルコールの同時過剰摂取という行為が呼び起こした
僕の精神的なパンクと異常行動は、翌朝目覚めて間も無く
強烈な自己嫌悪と自分に対する嫌悪感に変わりました。
それの強烈さは過去最高のもので、またいつかこんな事を繰り返す
のか、そうでなくともまともに働く事も出来ない自分がこれ以上生きて
一体何になる?マイナスしか生まないんじゃないのか?と。。
朝から晩までそれのみを考えるようになり、水分だけほんのわずか、
食べ物は一切身体が受け付けなくなりました。。。
本気で、もう死ねばいいと思った。。
「きっと精神が病んで自殺する人って、こういう状況なんだろうな・・・」
そんな風に自分で自分を客観的に冷静に哀れな目で見ていました。
丸一週間。。。
ずっと考え事と贖罪の念とみじめな気持ちのまま時が過ぎていきました。
体重はあっとうまに一週間で6kgも落ちました。
その後は何がどうなっていったのかはよくわかりませんが、
少しずつまた結局元の生活に戻っていきました。
それが良かった事なのか、何事もなかったかのように、
また今までに戻る事が良いのか悪いのか・・・正直わかりません。
そしてしばらく休んでいた通院をこれを機に再開する事になりました。
自分の病気と精神状態、そして環境。
他人にも自分にも騙し騙しの生活だったと言うのがよくわかりました。
それまで「僕はいつか壊れるんじゃないか?」
そう思って3年ビクビクしてました。。
・・・でもちがった。。。
「僕はもうすでにどこか壊れかけている。」そう自覚しました。
認めたくなくても、自分に対してそう向き合う事にした。
今まで仕事ではどちらかと言えば他人の人生をより良い方向に導く側の
立ち場で働いて来ました。
酒に溺れる者、薬物やシンナーに走る者、ささいな誘惑で身を滅ぼす者、
そして、新聞の一面を飾るような犯罪を犯してしまう者。。
それら精神的に病んでる人間に、身体を張って向き合って来たはずの
自分が、いつしか真逆の立場、病んでる側になっていました・・・。
あっという間の事でした。
人は人生、登っていくには時間がかかるけど、転げ落ちるには
時間はかからない。まさにその通りかもしれません。
なんだかんだでこれを機に、
「早く病気を治して、実家も家族ともちゃんと向き合って・・・」
そういう思いとは縁を切りました。
「病気とはこの先も長い付き合いになる方向で考えだした」
「家族の問題も、こんな自分が口を出す事じゃないと思うようにした」
それが良い事とは思えない。
ネガティブ前提での生き方だから。
でも、ポジティブに考えるとまた衝突してしまう。
家族に対しても、自分自身に対しても・・・。
でもその中で、その環境の中で何か1つでも希望が欲しいのは事実です。
環境・経済面・健康面・行動範囲・交友関係。
限られた中でまずは何か探そうと思い始めたのがこの頃です。
そして、そんな中で「畑」と出会う事になりました・・・。
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コメント
コメント一覧 (2件)
太陽の下で小鳥の囀りを聞きながら、土に触れて体力を使い働くと、嫌なことも忘れられて夜も疲れてよく眠れるし、畑で癒されています。
私も、更年期障害、アル中や不安神経症で、5年以上通院しましたが、薬の副作用で顔面麻痺になり(勝手に自分で、判断したものです)通院を止めて、畑の相続をきっかけに転地療法で畑をしていますが、どこで暮らしても人間関係がうまくいかず、症状も悪化ですが、最近「仏光さんの心の相談室」というブログに出会い下手なカウンセリングを受けるよりも自分の心の整理整頓が出来るようになり非常に助けられています。
よろしければ、どうぞ拝見なさってくださいませ。
>まるさん
仏光さんの~拝見いたしました。
何事も、心のよりどころ・場所があったり、相談、時には気を紛らわすようなささいな事でも大きな意味があると思っています^^。
少なからず、今の僕は土と太陽に日々お世話になってるのかもしれません^^