祖母が突然介護が必要になり、正直、
介護保険の申請やらなんちゃらとか、介護にまつわる
公的サービスとか、国の制度とかはさっぱりわかりませんでした。
自分がまだ、そういうのを念入りに把握する年齢ではないですし、
僕は孫なので、やはりそういった手続きや申請は
子である父がやる感じでしたし、一度祖父の時に経験してるので
ある程度把握してるみたいでしたが、そういった内容を
僕にはもともと話さない性格。
しかし父は事務的な事は得意だが、
誰かと相談したり、打ち合わせしたりなどの面倒くさい事は
苦手というか、丸投げする性格なので、僕自身ある程度
いろんな意味で「監視」してないととても怖い。
車検とか、保険とか、行政手続とか、そういったものは
相手の専門家・担当者の言うがままでやってしまうので、
そういう所はちゃんと見てないと、要らないものまで買わされたり、
余計な契約をしてしまう率90%を超える。。。
それが反面教師になったせいか、僕や兄は、一見欲しいものや
趣味の物に平気でお金を使う割には、金額や契約内容には
シビアな査定をする性格に育った気がする。
買う事は妥協しないが、買うからには最善を尽くす。
どうすれば安くなるか、どこが安いとか考えるタイプ。
ま、世の中金額の価値を見極めるクセは良い事だけどね。
さて、
専門的な知識も無く、父からは断片的にしか情報が
得られなかったので、
あくまで関わった範囲内での感想です。
この記事全体の中で仕組みや制度のズレや誤解があった場合は
ご容赦下さい。
↓こういう本とか読んでおくべきだったかな。
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何となく、こんな感じで介護制度を利用していった。
そんな感じで記事を読んでください。。
まずは介護保険の申請。
介護サービス等が必要になった時は、この申請を行う。
その査定にはレベルがあり、
要支援12・要介護12345、と、左から右へ行くにつれ、
いわば軽度→重度の段階に振り分けられる。
ザックリ言えば、重度レベルをもらえればもらえるほど、
受けれる補助や介護内容は大きくなる。
自己負担率とかね。
障害度レベルみたいなもんかな、例えれば。。。
なので、大抵の申請者は、出来るだけ高い介護認定を欲しがる。
そのほうがサービスの幅が広がるからです。
ただ、これが最近は高齢者が年々増加しまくってるので、
以前なら介護レベル3だった人でも、今では介護レベル2くらい
の申請が通るのがやっとが現状らしい。
どの程度の人が、どの介護レベルに当たるかは、
そういった表があるので、気になる人は個々で調べてください。
ちなみに、確か要介護3~で、他人の介護・補助なしでは
日常の生活が出来ないレベルだったかな。。。たぶん。
なので介護レベル5なんて、もうベッドで寝たきりで
自分では身動きできないレベルでしょうね。
そして、うちの祖母の介護認定が、
「要介護4でした」
うん、まあ、正直重いレベルでした。
今はかなりこの要介護認定はシビアなので、なかなか4以上は
認定がおりません。
完全寝たきり生活とか、施設生活とかそういった人が当たり前の
人が認定されるレベルです。。。
ただこれは、主治医のさじ加減で大きく左右されるのも事実。
付き合いの長い主治医などは、実際に出来るだけ
高い認定を後押しくれたりします。
良い主治医を見つけましょう。
後は訪問調査員という方が来て、実状の調査をし、
最終的には、何とコンピューターで分析・判断します。。。
ちなみにですが、介護認定の基準と言いますか、一番大きな
診断判断は、「歩けるか、歩けないか」など、
肉体的な状態が重要になります。
例えば、
「頭もしっかりしてて認知症も全くないが、自力で歩けない人」
「自力でしっかり歩けるが、認知症・徘徊のひどい人」
どちらが介護する側から見れば大変かと言えば、
人それぞれですが、僕なら後者は精神的にまいってしまう。。。
しかしながら、要介護として重いと判断されるのは前者です。
さっきした事を忘れ、勝手に家から出て行ってしまったり、
その外出した事すら忘れ、突拍子も無い事を言い出す認知症。
ですが、本人が自力で移動や歩行が出来る以上、
せいぜい要介護レベルは2が精一杯らしい。
余りにも極端な審査基準ですが、これが現在の国の判断なので、
認知症メインで悩んでる家族などは、ロクなサポートも受けれず
とても大変だし、やりきれない部分もあると思います。。。
(まあ、リアルにご近所さんのお話なんですけどね・・・;;)
うちの祖母は前者で、92歳とは思えないくらい頭はしっかりしてる。
会話もしっかりしてるし、細かい事までよく覚えてる。
それ以外で、歩行困難・肉体的運動能力の低下が認定され、
要介護4になりました。
とはいえ、4は4。
主治医が頑張って査定してくれたとはいえ、実質4は重い。。。
弱っていく速度はとても早かった。
なにより、こちらの心の整理が追いつきませんでした。
8月末までは、自分でトイレも行き、歩いてもいたし、
洗濯もしたりと、自分の身の回りの事はすべてしてた。
長年の日課である朝のラジオ体操も、椅子に座ってやるものの
必ず毎日やっていました。
そこから3週間もたたず、要介護4まで衰えてしまった祖母を
素直に言えば「心の中で理解出来ませんでした。」
感情すら追いつきませんでした。
悲しいだとか、つらいだとか、可哀想だとか、大変だとか、
そういった想いすら整理できなかったです。
マラソンで元気で走ってた人が、徐々にペースは落ちてるものの
それが突然歩くことすら困難になり、
まるでいきなり立ち止まってしまったようで。
「走れとは言わないけど、突然・・一歩も歩けない・・の?」
そんな感覚。
それだけ祖母の身に起きた事に心が追いつかなかったです。
そして気づいた時には要介護4レベルだというし。
このあまりの展開の早さに、今後介護していくどころか
介護も看病もクソも無しに、明日、明後日、ある日突然
死んでしまうんではないかと本気で思った。
思いたくは無くとも、
「あ・・・あれ・・・・え・・・?・・死んじゃうの?」って。。
しかし、
急激に要介護4相当の状態にまでなってから、
そこでピタッと踏みとどまった祖母。
急降下が止まった時点で、僕を含め家族全員が、
ようやく気持ちの整理と介護に向けての心の準備等が出来ました。
「何をすべきか」
「何が必要か」
「何を考えていくべきか」
介護しつつも、少しづつ冷静に考える間合いが出来ました。
つかまり歩きでしか移動は出来ないものの、
排泄はトイレで、食事は居間で、と、
それだけは祖母も、プライド?とか、こだわり?とか
そういった感じではなく、
「そういった事はそういった所でするもの。」という
感覚と習慣が当たり前のように前提にあり、
そういった想いを僕も父も尊重しました。
寝床でご飯を食べる。トイレでは無い所で排泄をする。
その感覚が純粋になじめず、頭にも無く、
「なずべきところでそれをなす。」
それが祖母の自然の価値観でしたので、
こちらも黙って、その習慣を応援するしかないと思いました。
たぶん、僕らが状況についていけないのと一緒で、
祖母自身も急な身体の変化についていけなかったんでしょう。
ついこの前までしていた生活習慣をある日突然変えられるのも、
また、こちらも変えさすのもお互い暗黙で
「それはまだしない」というか、出来なかった。
「ちょっと体調を一時的に崩しただけ」
それは僕ら家族がそう思いたいと同時に、
祖母もそう思っていたのかもしれない。
なにより、それを否定して、祖母を寝たきりにさせて
強制的に介護したら、
自分や家族自身が
「祖母が亡くなる心構えと準備を毎日している」気持ちになりそうで、
それが怖かったし、自分に対してものすごく嫌悪感だった。
はっきり言えば、「祖母が死ぬ準備をするようで・・・」
こうして、
食事、トイレ、着替えなどは何とか祖母本人でやれる範囲で
やる事をサポートし、それらに関わる「移動作業」「準備作業」が
主に僕と父の作業になりました。
移動も丸っと抱きかかえてしまったり、
食事も僕らが口に運んだりと、
何から何まで全部こちらでやってしまうと、一気に弱って
しまうような気がして、
ある程度はバランスを取りながら、祖母自身で出来る事は
祖母自身で頑張らせるようにしました。
要介護4といっても、認知症などの症状は無く、
頭ははっきりしており、言葉や会話もしっかりしてる。
だからこそ、しっかりと祖母の理性とプライドを尊重したかった。
こうした介護が始まるのと同時進行で、介護認定が
おりた事もあり、
デイサービスなどの施設利用などの検討にも入りました。
この話はまた次回に。。。
※この介護記事は少々過去にさかのぼって書いているため、
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