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死の告知をされた者。死の告知を聞いた者。

 祖母を失い、これからに向けて気持ちを切り替えていこうとした

直後に突然の父の末期がん、ステージ4宣告。

死の病を告知された人の想いは、告知された本人以外

到底はかり知る事が出来ない。。

 今回の記事は少々生々しく、思い出す事、書く事に悩みました。

死の覚悟をした者の行動や考えは、

ドラマのように、綺麗だとか潔いとか、実際はそんなものではなく、

修羅場と言っていいほど、壮絶・過激であり、

正直、不潔だの見苦しいだの平気で言えるものではありません。。

でもそれが現実。

祖母の介護も然り、

人が死に向かって過ごす日々は、あれが汚い、これはしたくないとか

ストレスが溜まるとか、そんなものではないです。

そういう過程を知っているか、理解出来るかで、

例え身近な人間ですら価値観の差は生まれます。。

 そんな現場を見る事が、経験する事が正しい事だとか、

現場を知らない人が何かを口にすることが間違っているとか、

そういう事では無いと思います。

 世の中。

向き合っておくべき現実もあれば、

見ない方が良かった現実も正直あります。

善と悪、綺麗な現実・汚い現実。

生々しい現実は時にそれを見た人の人生を壊す事もあり、

うわべだけの現実を見続ける事にも危険はあるかと思います。

 例えれば簡単な話です。

事件・事故で残酷な死に方をした人の本当の現場を知るか、

それともドラマや映画のような殺人現場の綺麗な死を見て

本当の現実を知らないのが幸せなのか・・・。

見ない方が・知らない方が幸せな事もあれば、

知る事・現実をしっかり見る事が逆にいい事もありますが、

どちらがいいとは正直今でもわかりません。。。。

そういう選択肢を選べる人もいれば、否応なしに経験する事もあり、

結局は、目にした事を冷静に受け止めれる精神力の問題とか、

そういった事になるのかもしれませんが。。。

そしてそういうことをどう書くかににすごく悩みました。

末期がんを宣告された父を綺麗に表現して父の尊厳を守るか。

逆に、ありのままを伝えるか。。。

結論から言えば、ありのままを書こうと思いました。

やはり死の宣告をされた後の父の生き様を忘れないために・・・。

 なので、たぶん、今回の記事は誰が読んでも楽しくなる記事では

ありません。。。

 3週間くらい悩みました。。。

でも、

この状況は誰にでも起きる可能性があり、

そういった人たちに少しでも役に立てるのであれば、

何も美化したりするものではなく、ありのままを伝える事が

大切な事だと思いました。

一番長く一緒に過ごした父の人生の最後に向けて、

都合のいいモザイクをかけて見たくなかったからです。

今回の記事はまやかし無しで、命の灯を悟った実の親の

リアルな現実を綴っています。

苦手な方、不快感を持つことに嫌悪を感じる方は読まないで下さい。

 末期がんという、ある日突然そんな残酷な告知を受け、

翌日に即入院。

告知をされ、帰宅した日。。

ひょっとしたら、この生まれ育ち長年住んできた家に、

このまま二度と戻る事が出来ないのではないかと

考える余裕も無く過酷な現実を突きつけられた時、

人は何を思うのだろう・・・。

想像が出来ない。。

家族の自分ですら想像がつかないのに、当の父本人は

もっと混乱してたのだろう・・・。

 告知の翌日、父の入院の日の朝。

2階の父の元に行こうと、階段の下まで行った時、異臭がした。

嫌な予感がした。

 慌てて2階に上がると、

父は這いつくばりながら必死で大事な書類をかき集め、

整理していた。

 意識は半ば朦朧としており、高熱も発していました。。。

いったい何をしていたのか、すぐに察しました。。

おそらく寝ておらず、まともに動けない身体で、一晩中

精一杯、身辺整理をしていたのだろう。。。

もうここに戻る事が無いかも知れないという突然の現実に対し、

父は何十年という人生で残したすべてを、たった一晩で

整理と清算・けじめをつけようと覚悟し、死にもの狂いで

行動したのだろう。。

 今までの人生で見てきた父の姿の中で、

あまりにも残酷で壮絶な姿で言葉に出来ない状況だった。

言葉が出なかった。。。

 部屋のいたるところに血痕が散らばっており、

何も履いてない下半身や足には排泄の汚れにまみれていた・・。

 腰部周辺に強く転移した癌は、排泄の機能と感覚にも麻痺が来る。

数日前から、ほとんど食事をしていないのに、

便意だけが強烈に襲ってきてる苦痛に数日前から悩んでいた。

便意はあるのに出ない。

状況は違えど、祖母も同じことを毎日言ってたのを思い出す。

「便秘がつらい、便秘がつらい」と毎日言っていた。

祖母も父も、食べてないから便秘があっても出ないのも

当たり前なのだが、まるで重度の膀胱炎のように、

その強烈な便秘の感覚は計り知れない苦痛だったのだろう。

 父に、いったい何をしたの?と問う事も無く、

状況を見て父が何をしたのかほぼ理解は出来た。

便意の苦痛に耐えかねて指で肛門の中を指でえぐったのだろうと・・。

トイレに行く力も無く、飛び散った血や便を

拭こうとか、汚いとか、もうそういう次元ではない。

 生きるか死ぬかの本当の瀬戸際では、本人も周りも

恥ずかしいも汚いも情けないも無い。

 素っ裸で排泄物と血にまみれながら、そんな中で

ベッドの上に汚れまみれの通帳や大事な書類を必死で並べていた。

「これは・・・お前が持っていなさい・・。」

「これは・・・○○君(兄)によく見てもらいなさい・・・」

見せられた時は、

どれだけ父が昨夜壮絶な時間を過ごしていたのか・・・

どれほどの苦しみを一晩無視してまで、自分の人生の清算を

精一杯しようとしたのか・・。

明日から入院して治療が始まるというのに、

もう明日、いやこの作業中に死んでもいいというくらいの

想像を絶する光景と、死を覚悟した父の姿がそこにはあった。

 それでもまだ整理をしようとする父をさすがになだめ、止めた。

2階から担ぎ降ろし、汚れまみれの父の身体を洗った。

素っ裸の身体を、ましてや糞尿まみれの身体を子供である僕にに預け、

洗ってもらうという行為は、お互い言葉に出来ない思いになる。

 羞恥心もあるだろう。

 プライドもあるだろう。

 親としての尊厳もあるだろう。

洗ったり世話をする側より、される側のほうが

いかに自分を責めて悔しい思いをしてる事だろう。。。。

 こういう世話を黙ってするのは、慣れとかそういう事でもなく、

いつか自分もそうなるからとかでもなく、

同じ人間なのだから、家族なのだから何も不愉快ではない。。。

 でもプライドの高かった父には、そんな自分の情けない姿を

僕に晒すというのはとても悔しい思いだったであろう・・。

 
 
 僕の記憶にはないが子供の頃には父とも一緒に風呂に入り、

父の背中を流したこともあっただろう。。

でも、

記憶に残るという意味では、今回が初めて父の身体を洗った気がする。

身体に付いた糞尿や血痕、お尻の穴まで洗う僕を見て

父は何を思っていたのだろう・・・。

プライドの強い父だけに、、、。

しかし逆にプライドの高い父が、もう自分では身体を洗う事すら

出来ないと悟っている雰囲気を理解するのはつらかった。。

 一瞬、どことなく謝ってるような一言が聞こえた気がしたが、

僕は聞こえてないフリをして、ただただ一生懸命洗った・・。

 同時に、

ついこの前までの祖母の排泄や汚れの処理をしてた

父の姿が頭に浮かんで離れなかった。

フラッシュバックではない。

現実として、この短期間でまた同じ事が起きているのだと。

今度は何故父が・・・と。到底気持ちの中では受け入れる事が

出来ませんでした。

 祖母の時、

あと20年もすれば今度は同じように親父の世話をするんだなと、

親戚と冗談交じりで何気なく世間話をしたが、

それがこんなすぐだとは思いもよらなかった。。。。

 そんな事を考えながら、父の身体を精一杯綺麗にした。

むしろこんな状況を、親戚たちが来る前に自分が気づけて

よかったとも思った。

 身内であろうと、誰かに対して恥をかくことを嫌う父なので、

今のこんな姿を、周りに見せず、

まだ僕だけの中で止め、処理できるならと思った。

自分のプライドも何もかもを捨てるような状況に、

 その場に僕しかいなかったからなのか?。

 僕というバカ息子を選んでくれたのか?。

それはわからない。

が、生まれて初めて父が僕に自分の身をゆだねたのはこれが

初めてだったので、言葉に出来ない思いだった。。

 不謹慎かもしれないが、少し嬉しかった。

病気でまともな社会生活も送れず、父を助ける事は少しは出来たが、

父を幸せに出来るような胸を張れる親孝行は出来ていないという

自己嫌悪がずっとあった。

 自分という存在は、誰かに対して多少の役には立てれども、

誰かに信頼され、必要とされるような人間ではないと思ってました。

 そんな自分を、父本人が一番弱って恥を覚悟をするような時に、

僕という親不孝者を誰よりも頼ってくれた事が嬉しかった。。。

 入院準備で皆が来る前に父をとにかく綺麗にしたかった。

その過程で、生まれて初めて父の身体が隅々まで目に映った。

 太もも・ふくらはぎ、足の形、指の形、、、、

形状や筋肉の付き型、サイズ、骨の感覚・・・・、

たったそれらを見る事で、当たり前の事なんですが、

何となく違う意味というか、違う感覚で、

「僕はこの人の子供だと、強烈に自覚させられた・・」

それくらい僕の身体付きとほとんど同じだった。。。

親の身体を洗いながら、自分の身体を見てるような、

何年か先の将来の自分の身体がここにあるような、

または父が今の僕の歳の頃には、こうやって幼い僕や兄の

身体を洗ったりしてたんだな・・・とか、

父が僕に見えたり・僕が父に見えたりして

言葉に出来ないいろんな感情がこみ上げていました。。

 入院に備えて、出来るだけ身なりを整え終わった後の父は

もう2階の自室に戻せる状態ではなく、

一階の、片づけたばかりの祖母の部屋に寝かせた。

力尽きたようにゼーゼー言いながら横になっていました。

 ついこの前、この部屋に祖母が横たわり、亡くなった部屋。

同じ場所で今度は父が同じように苦しみ横たわってる姿を見る事は

表現出来ない気持ちであり、祖母と父が重なって見えたり、

それも心臓をえぐられる思いでした。。。

 午後2時。

ほんの2日前に自分で車を運転して、病院に最後の検診に

行ったほどの父でしたが、

もう入院に向かう車にすら自力では乗れない状態になってました。

 集まった身内たちに抱えられて車に乗せられ、

こうして病院に向かいました。

本音を言えば、

この時、少しほっとしました。。

 ここまで、あれだけの苦痛なのに今まで何も治療も処置も

してもらえなかったので、

「これでやっと父の治療が始まる。点滴やら痛み止めやらで

少しでも父は今より楽になれる」

 末期がんという病気が、この先回復に向かう可能性は正直低い。

でも、

今まで自宅での放置と違い、

これからはちゃんと医者や看護師がしっかり父を24h診てくれる。

少なくとも、今よりは父の苦痛もきっと和らぐだろう。。

 現状は最悪に変わりないが、せめて少しでも・・・少しでも・・・。

こうして父は入院して、がんとの闘いが始まりました。

奇跡が起きて回復するのか?

いつまで生きれるのか?

色々思う事はありましたが、正直な気持ちは

ここからどうなるのか・・・?という未知数の不安しかなかったです。。

 この先、父は末期がんの闘病という過酷な入院生活に入る。

親族も家族も、皆がそこに相当な神経と労力を注ぐ日々が

始まるでしょう。

 なので皆にはそれに集中してもらいたいし、

それ以外の不安要素は二の次・もしくは無い事にする必要があった。

それくらい看病に関わる人も大変な日々が始まる。

それ故、

その時すでに僕の身体・精神状態・持病がかなり深刻な状態に

なってる事は隠し、余り悟られないようにしようと思っていました。

 今はすべてを父のために力添えしてもらいたかった。

自分の病気も危険な状態でしたが、何もすぐに死ぬわけじゃない。

それに比べ、常に死を目の前にしてる父と自分を比べるのは

通用するとか、しないとか、何と言いますか、、、

「場違いな意見と悩み・お荷物」に思えてしまって・・・。

自分で天秤にかけたんでしょうね。

例えれば片足の無いような僕と、

両手両足のないような父と、

どっちが重症で、どっちを優先して看病するか?みたいな感じで。

 
 病気に大小も無いかもしれませんが、限られた人数の中では

親族たちもあれもこれも出来る訳では無いので、

そうやって優先順位をつけるしかなかったんです。。

 それに本来は父の一番近くにいる自分が、何より率先して

動かなければならないのに、それが情けない事に出来ない為、

それにより遠方の兄や叔父や叔母に大きな負担をかける事に

なるのだから、当然負い目もありましたし、そんな中で自分の事を

どうこう言えるような状況じゃなかったので、仕方ない事でした。

 こうして24時間体制で看病・治療をされる父とは別に、

僕は僕で、自分の持病に対して人知れず誰にも悟られることなく、

出来るだけ周りに心配や負担をかけないよう、過ごす日々が

同時にスタートしました。

しばらくここから一人でどうなるのか、病気が悪化するのでは?

という不安と恐怖しかなかったです。。。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (3件)

  • お父様の最後の力を振り絞っての
    身辺整理~涙が溢れて仕方ありません
    私も身辺整理をしなければと焦りながら
    なかなか身体が思うに任せず
    遅々として進みません~私も最期には
    そうなるのではと………不安…
    こばじろうさん~
    何と言葉をおかけしたらいいのか~
    でもしっかりとした文章で
    人間のナマの姿をしっかり見つめ
    お父様は勿論周りにも気を配り
    必死に耐えて生きておられる姿に
    人間としての強さ優しさを感じ
    胸が一杯です~感動です~
    私の亡母の後、一年経たない内に
    長男の嫁のお父さんが胃がんで
    命の期限3ヶ月よく持っても半年と
    告げられました~未だ60代~
    …突然お宅に伺う事になり~
    椅子に腰掛けお祖母様とTVを見ている人がいましたが
    私はお祖母様のお友達と思って~
    後でご本人と聞き~お元気な時の
    面影は微塵も無く信じ難く
    あまりの変わり様に唖然としました
    告知から一年、先月逝ってしまわれました
    人はいつかは旅立たねばなりません
    それが何時か解らないのが普通~
    告知を受けたら~???
    解ったらやりたい事がある~
    でも~その気持ちは今解らないから
    言える事でしょうねぇ
    解ったら何も手につかないかも~
    でもパニックになってもその時はハッキリ告げて欲しいと今は思いますが~
    長くなってごめんなさい~
    ご健康心からお祈り致します

  • とても悲しい内容でしたが、読んでるうちにその場面がすごく頭に浮かんできて、交わす言葉は少なかれどお父様とこばじろうさんのその時の心情がすごく伝わってきました

    私も色々ととても考えさせられる記事でした。

  • 末期がんで明日入院と言われたら、やっぱりいろいろと整理して伝えておきたいと思う親父さんの心内、よく伝わってきます。受診から結果判明まで時間かかり過ぎますね。もう少し早かったらとどうしても思ってしまいますが。

    自分は父はもう亡くなっていて母も高齢になったので、いろいろと話もしながら準備は進めています。気持ちの準備と、具体的に何をどうするかということを少しずつ。終活ノートのようなものも本人が書いておくといいのでしょうけどね。急なのか、少しでも時間があるのか、その時が来てみないと分かりませんが。自分のおじさんおばさんたちもこれから10年くらいのうちに次々に寿命が来そうです。こなければ認知症が来るでしょうし。

    こばじろうさん、繊細な方ですよね。大変なときは、まわりに心配かけても頼っても全然問題ないと思いますよ。それを懸念するタイプの人なら特に。あまり自分だけで抱え込まないようにする方がよいでしょうし、性格を変えちゃってもOKと思います。自分も自分でしんどいなあと思う部分の性格は変える工夫をしてきました。引き替えになったものもあるとは思いますけど。

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