MENU

「フリーター荒れ地を買う」第2話「亡き祖父の影と資質」

 実家に戻る事になる頃からじわじわと心に浮かんで来た

のは、数年前に亡くなったじいちゃんの事でした。

人はよく、失ってからいろいろ気付くと言いますが、僕にとって

この事も例外ではなかった。。

 特別昔からおじいちゃん子でもなかったのですが、

手先が器用で物作りが上手く、生き物や農業に詳しかった祖父は、

それらや自然が同じように好きだった自分にとっては、今思えば

かなり影響を受けていた気がする。

 実家を出て、1人暮らしを始めた後も、年に数回は実家に帰って

いたりしていましたが、俗に言う単なる里帰りで、特別これと

いった話を祖父と会話を交わした訳でもなかった。

 その間で祖父が亡くなった訳ですが、最後に交わした言葉すら

いつ何だったのかも覚えていない。。。
 

 10年ぶりに、一時的な帰省ではなく、これから住むという

前提で戻る準備をしてた我が家。

もともとボロ屋の古い家ですが、いたるところが変わっていた。

 増えてたものは家中に取り付けられていた祖父用の手すり。

出来るだけ居間から近い場所にと、その隣りの部屋に取り付け

られていた介護用のベッドとエアコン。

そういった物を見ると、祖父がどんな感じで老衰していったか、

その節々が頭に思い浮かんでくる。。

 それら残ってるよりも、案外無くなっているもののほうが、

さらに祖父の「生き様」が心にくるものがありました。

昔裏庭側にあった豚小屋は取り壊され駐車場に。

風呂は今更ながら電気温水器に。 

耕運機などの大きな農作業器具も消えていた。

そしてあらゆる部屋が物置状態に。。

 あるときはさほど気にもしていなかったんですが、それらが

無くなっているのを見ると、あの頃の祖父が今はもう居ないと

身にしみて実感してきました。

「歳をとり、出来る事がどんどん無くなり、それに比例して

いろんな自分の物、使っていたもの、場所が無くなっていくって

いったいどんな気持ちだったんだろう・・・」

もし、

父や僕が、祖父のやっていた「モノ」を引き継いだり、祖父自身が

自分が生きてきた何かを、この先子孫が引き継いでくれてると

生きてるうちに思えたら、もう少し心安らかに天国へ

行ったのかもしれない。。。

 
 自分は祖父が生きてるうちに何かしてあげれただろうか・・・。

そんな想いがどんどん込みあげて来て、やりきれなくなる。。

 のちに祖母が語るには、亡くなったじいちゃんは生前、

誰よりも僕の事を心配し、常に口にしていたらしい。。

僕があまりに壊れそうな車をずっと乗っていて、「買い替えを」と

お金を出してくれてたのは親ではなく、実はじいちゃんだった。。

 それなのに自分ときたら、顔見せ程度の帰省だけで、特に

恩返しも出来ず、あげく社会や病気に負けて帰ってくる始末。。

そんなある意味好き勝手都会で生活してる自分の事を、

意識が亡くなる生前まで、常日頃から心配して話題に出してた

なんてあとから聞けば、それから毎日仏壇を前に、

胸が張り裂ける想いに耐えきれなかった。。。

「なあ、じいちゃん。もしまだ生きてて俺がここに戻って来ていたら、

 いったい何して欲しい?なんか残しておきたいものがあったら、

 俺が修理してキレイに直すよ・・」

引っ越し作業の中、毎日心の中でその事ばっか問いかけていた。

 そんな中、

たまたま目に飛び込んだのが、僕が子供の頃から

いまだに残っていたタライサイズの小さな叩き池。

それはじいちゃんの部屋の前にあり、それもじいちゃんが

昔作ったものでした。

 小さい頃、よく金魚を入れてはそのたびにネコに食べられては

泣いていたものだ。

今ではもう泥のような水が貯まり、20年近く放置状態でした。

 その隣りには「薪」を入れていた古小屋があり、今は使ってなく、

それも昔の手作り小屋なため、今にも倒壊しそうな状態。 

その前を通り、池があるのですが、狭い通路はクモの巣が張り、

雑草やら古びた花木などが所狭しと茂り、その通路も池も

ひどくジメジメとした場所となっている。

 自分でもよくわからないのですが、引っ越し作業中、

なぜか引き付けられるように、暗く気持ちの悪い通路を通り、

その池に足が勝手に向かって行く。

 そして気付いたら池の泥を桶ですくい上げていました。

なぜそんな、今では誰も近寄らないようなところに?

わかりません。。。

しかしいずれにせよ、こんな20年もほったらかしで泥しか

ないような池に、生き物の気配なんてもちろん感じられない・・・。

ところが、

そんなところに生き物が住んでいた。

イモリが10匹ほど。。

どこから来たのか、野生で住みついていました。

そして、何かビニール袋のようなゴミっぽいものがあったので、

すくいあげてみると・・・

それはビニールではなく、

「見た事もないような巨大なカエル

ウシガエルなのか、なんなのか・・・?

カエルという一言では言いきれないような大きさだったw

「主・・・?。」

 じいちゃんの作った小屋や使っていたもの、あらゆるものが

壊され、捨てられ、そして放置されていくその頃、

「この池は生きていた。」

そして自分はなにかにそこに手招きされ、そしてそこに居たカエル。

自分の中で何かが突き動かされた。

 アホかと思うかも知れません、頭がやはり病んでるから・・と

思うかも知れませんが、

「天国のじいちゃんからの何かの暗示だと本気で思った」

じいちゃんが俺をここに呼んだのか?カエルが呼んだのか?

それともこのカエルは俺が来るまでこの池を守ってきたのか?

それかこのカエルがじいちゃんの生まれ変わり??

 そんな事を本気で自問自答してた。

当たり前ですが、そんな事は誰もわからないし、きっと

「単にそう思いたく、自分で自分をそういう方向に

突き動かしたかったのかもしれない」

 いつしか、勝手にその巨大カエルをこの池の主、じいちゃんの

生まれ変わり、そう自分で自分に思うようになっていった。

 
 霊的な、家相的な、そういったものでは無いですが、

なぜかどうしても、その池の横にある薄暗い薪の古小屋を

壊したい、というより、

「壊すべき」「壊さなければならない」という

理由のわからない強い衝動にかられた。

 引っ越しするにあたり、やれ自分の部屋の床を直してほしい

だとか、実家のここだけはこうして欲しいだとか、しいてお願い

するなら普通他に色々あったんだろうが、

僕が父にお願いしたのは、なぜかその古小屋の撤去。

「引っ越しまでにこの小屋だけは撤去してほしい!」

それだけを懇願していた。

父的には「日当たり」の事なのか、古くて邪魔だから

息子がそう言いだしたのか、、、程度でなんとなくで承諾。

 そして取り壊しと撤去が終わった日。 

自分の荷物の整理や片付けそっちのけで、いきなり向かったのが

そのボロ小屋の撤去された場所。

 古びた納屋から何十年も前のスコップや鍬を取りだし、

なんのためらいもなく無意識にそこを掘り始めて居ました。

 頭で考えて、計画して、と言う感覚でなく、

「自分はあの古びた池をきれいに作り直さなければいけない」

何故強くそう思ったのか、思い込んだのかは今でもわからない。。

 それが以前書いた池作り記事の動機と始まり。

画像

 セメント施工やら土木的な技術も経験もないし、道具もないし

どう作って良いのか正直わからない。

なにしろその古い池を祖父が作ったのは僕が生まれる前。

 
 しかし、なんとなく作業をし始めていくと、

おのずと次に何をやればいいか、道具はどこにあるのか・・。

設計図もなく、そして書かず、、それでも

不思議と次から次へとどういう工程で、次は何を・・と、

古い既存の池を見るだけで、自然とどうやって作ったのか

頭に浮かんできて、作業の手は止まりませんでした。。

 池を作ろう、何かを作ろう。ではありますが、

今思えば、祖父に対する「何かを取り戻そう」としたのか。。。

答えは今でも出ませんが、少なくともここから数年、

「亡き祖父の影を無意識に追いかけて行く事になっていきました」

↓記事更新の活力にに1日1クリック応援をよろしくお願いします

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • こんにちは!
    ボクも田舎で育ち、今は仕事で都会で暮らしています。
    二年前からベランダでですが家庭菜園をしています。ボクの祖母も農業に長けていたようで、生きていたら教えて欲しいなぁって想うことがたくさんあります(^^;)
    でも母や近所の人に祖母の生前の話など聞くと蘇る記憶もありますよ!
    こばじろうさんも色々訊いてみると、おじいさんとの想い出に繋がるかもですよ

  • >朔さん
    そうですね^^。
    実家を出ると今の事や未来の事ばっかに夢中でしたが、月日を重ねて実家に戻ると、妙に幼い頃の過去をの思い出がほりおこされます。
    小さい頃はあんな事興味無かったのに・・・なんて事が次々に頭に浮かんできますし、知らなかった祖父の生前の話をよく聞くようになりました。

    祖母ももう90歳を超えてますので、色々話を聞いておこうと思います^^

こばじろう へ返信する コメントをキャンセル

CAPTCHA


目次
閉じる